浅野忠信母方の祖父はインディアン?ファミリーヒストリーで明らかに!ルーツはアメリカで目の色がハーフかクォーター?【Vol.1】

SF映画

若い頃からもイケメンでしたが、年を重ねる度に渋さが増し、ダンディなイケオジ俳優で真っ先に思い浮かぶ人物は浅野忠信ですね。

浅野忠信のどこか日本人離れしたミステリアスな雰囲気に大人の色気を感じてしまいます。

『マイティ・ソー』でハリウッドデビューしてからは、浅野忠信の活躍は母国日本だけにとどまらず、今では世界でも名が知られるようになりました。

2024年に真田広之主演&プロデュースにより新たにリメイクされたドラマ『SHOGUN 将軍』では、浅野忠信は「樫木 藪茂(かしぎ やぶしげ)」という武将を演じています。

そして、このドラマ『SHOGUN 将軍』は放映後大反響を呼び、また大変高い評価を受けてテレビ界のアカデミー賞と呼ばれている“エミー賞”で、なんと主要部門を含む最多25部門でノミネートされるという歴史的快挙を成し遂げました!!

日本を舞台にしたアメリカのドラマがエミー賞でこんなにたくさんの部門がノミネートされるなんてホントにすごいです!すごすぎです!!

『SHOGUN 将軍』は、世界も認めたすごいドラマであるということが本当によくわかりますね!!

そして、エミー賞の助演男優賞”に『SHOGUN 将軍』に出演している浅野忠信がノミネートされています!

この浅野忠信が演じた「樫木 藪茂」という人物は一筋縄ではいかないかなりのクセの強い人物で、この「樫木 藪茂」というキャラクターがドラマを見た視聴者の心をグッと惹き付けているようなんですね〜。

今回は、歴史的快挙を成し遂げたドラマ『SHOGUN 将軍』で曲者キャラで世界的に今人気急上昇している浅野忠信について、祖先のルーツから栄光を勝ち取った現在の姿まで【Vol.1】〜【Vol.3】と3つに分けて詳しくご紹介します!



浅野忠信はイケメンなハーフ?若い頃はアメリカ・インディアンの子孫だと思っていた?

浅野忠信は、本名は“佐藤”忠信といいます。

浅野忠信の“浅野”はお母様のご実家の名字から拝借したのだそう。

1973年(昭和48年)11月27日生まれの2024年現在50歳になります。

浅野忠信は今ではハリウッド映画でも見かけることが多くなりましたよね〜。

英語圏では浅野忠信は名前の前から3文字を取って“Tad”という愛称で呼ばれているそうです。

「Tad」と愛称もイケメン浅野忠信にピッタリですね〜。私も呼んでみたいです(笑)



浅野忠信はイケメンな俳優だけでなく、他にも若い頃から音楽家や画家としても人気を博しているんです!

浅野忠信はすごい多才な人物なんですね〜!

イケメンな浅野忠信は年齢を重ねる度に渋さが増してきていますよね〜。それは、風貌だけでなく、浅野忠信の低い渋めの声にとても色気を感じます!

ところで、ハリウッド俳優の中で男性のセクシーな声の持ち主は『シャーロック』のベネディクト・カンバーバッチもとってもいい声です〜!

天才役がハマり役なベネディクトカンバーバッチについては、こちらをどうぞ!!

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浅野忠信はまさにイケメンなオジサマで“イケオジ”ですね!!

本当に浅野忠信はかっこいいですよね〜!

浅野忠信は、神奈川県横浜市出身です。

ですが、浅野忠信は若い頃から髪の毛の色や、目の色など少し外国人のように感じる部分もありますね。

実は、浅野忠信のご両親は日本人なのですが、母方の祖父は日本人ではありません。

浅野忠信はハーフではなく、クオーターになるんですね。

浅野忠信は祖母から、「おじいちゃんはインディアンだった。」と聞かされていたんだそう。



また、浅野忠信は子供の頃から髪の色や目の色などが外国人のように見えていたことが、祖父譲りの外見なのかと思っていたようです。

実際に浅野忠信が祖父に会っていたなら、その場でお互いの顔を見合わせ、共通点など探すことができましたが、浅野忠信は祖父を一目でも見ることはこれまでありませんでした。

それには、戦争の混乱期に巻き込まれた浅野忠信の祖父と祖母のとても悲しくて切ない物語があったからなのです。



浅野忠信の『ファミリーヒストリー』。若い頃のアメリカ人の祖父と祖母の出会いから別れまで。悲しいラブストーリーが明らかに…

浅野忠信の祖父は本当にインディアンだったのでしょうか?

見たことのない祖父に思いを巡らせる浅野忠信。

これまで謎に包まれていた、浅野忠信の祖父、そして自分のルーツ、それをNHKの番組『ファミリーヒストリー』の手によって紐解かれました。



浅野忠信の祖母は広島県出身です。祖母は生後すぐに満州国大連市へ渡ります。

浅野忠信の祖母の父は芸者小屋を営んでおり、祖母も芸者をしていました。

浅野忠信の祖母は24歳の時、南満州鉄道の社員と結婚します。

社員待遇のいい会社の社員に嫁いだことで、浅野忠信の祖母は何不自由のない暮らしを送ってきましたが、8年あまりで離婚することになります。二人には子供はいませんでした。

その後、祖母は実家の広島へ戻ろうとしますが、広島は原爆投下により、街は壊滅状態でした。

浅野忠信の祖母は仕事を求め、東京へ向かいます。

そして、横浜へ進駐軍で料理兵として来日していた祖父と出会い、その後二人は交際をはじめます。

この時、浅野忠信の祖父は23歳、浅野忠信の祖母は38歳でした。

二人には15歳も年の差があったんですね。



そして、まもなく二人は結婚します。しかし、浅野忠信の祖父はまもなく始まった朝鮮戦争へ向かわなければなりませんでした。

浅野忠信の祖父が戦争へ行っている間、浅野忠信の母である“順子”が誕生しましたが、祖父は自分の子を抱くことは戦地にいるためできませんでした。

朝鮮戦争が終わり、浅野忠信の祖父は浅野忠信の祖母の元へ戻ってきました。祖父を迎えたのは祖母だけでなく、祖父が初めて目にする二人の間の娘順子も一緒に。

しかし、親子水入らずの生活はあまり長くは続きませんでした。

浅野忠信の母である順子が4歳になった頃、祖父が所属する進駐軍が日本から撤退することが決まります。



浅野忠信の祖父は故郷アメリカに帰る際、妻である祖母と娘順子と一緒に3人で帰ることを切望していました。

浅野忠信の祖母はその祖父の思いを汲んでアメリカへ娘も連れて祖父と共に3人で行くことを決めましたが、言葉の通じない遠い異国で娘を育てていくという不安に耐えられず、祖母は渡航直前になって日本に留まることを決意します。

こうして家族は離れ離れになってしまったのですね。

今でも、母国語の通じない国で暮らすということには不安がつきまといますが、それでもインターネットが発達した現在では、翻訳ツールを使えばなんとかなりますよね。



また子育てについても本やインターネットなどで、疑問に思うことは簡単に調べることはできますが、終戦後では、まったくそういったものに頼ることはできません。

人に聞くにしろ、言葉が通じなければ問題解決することもできない。

夫がまた出征に行ってしまえば、周りには誰一人頼ることはできない。

しかし、日本にいれば言葉は通じるし、知人や友人など困った時はお互いに助け合える環境がある。

きっと、この時は浅野忠信の祖母が決断したことはこれから生きていくのには正しい判断だったように思えます。



しかし、浅野忠信の祖父という自分にとって最愛の夫とはもう再会できないかもしれないという犠牲が伴ってしまいました。

こうして祖父と祖母は、これが永遠の別れになるなんて知らないまま浅野忠信の祖父はアメリカへ帰って行きました。

アメリカへ戻った浅野忠信の祖父は、進駐軍として日本に来る前にいたアメリカ・ケンタッキー州にあるフォートノックス基地に再び着任します。

そして祖父は、その4年後現地で知り合った女性と再婚しました。

その女性には2人の男の子の子供がいました。浅野忠信の祖父とその女性との間には新しい子供はできませんでした。

浅野忠信の祖父の子供は祖母との間の娘順子ただ一人でした。

祖父は自分のアメリカでの新しい家族には日本にいる家族のことについては知らせていませんでした。

また浅野忠信の祖母も祖父については胸のうちにしまい、祖父の事を多くは語ってこなかったそう。



浅野忠信の祖父は祖母と娘には別れ際会ったきり、二度と再会は果たせず、アメリカへ戻ってからは新しい家族のために地道に働き、65歳でお亡くなりになりました。

浅野忠信の祖父の死後、祖父の遺品である常に持ち歩いていた財布の中から一枚の古ぼけたボロボロになった写真が見つかります。

それは、浅野忠信の祖母との間に生まれた娘順子の写真だったのです。

浅野忠信の祖父は娘の写真を肌身離さず持ち歩いていたようで。



浅野忠信はその写真を見て…

「大きな愛を感じた。祖父は母のことを忘れたことはないと信じていたが,それが証明された」

必死で涙をこらえ声を震わせながら、浅野忠信はこのように答えました。

離れ離れになって再会することが叶わなかった浅野忠信の祖父と祖母。

しかし、離れ離れになって長い年月が経っても、浅野忠信の祖父の日本にいる祖母と娘を思う気持ちは、きっと娘順子、そして孫である浅野忠信にしっかりと伝わったでしょうね。



浅野忠信が若い頃から思っていた母方の祖父はアメリカのインディアンだったのはホント?!『ファミリーヒストリー』浅野忠信の知られざる先祖の秘密が解き明かされる!

浅野忠信の祖母から浅野忠信は「おじいちゃんはインディアン」と聞かされたことは本当だったのかどうか、この『ファミリーヒストリー』の番組が浅野忠信の祖先をくまなく調べた結果、実は浅野忠信の祖父はインディアンではありませんでした。

浅野忠信の祖父はインディアンではなく、曾祖父はオランダからの移民、曾祖母はノルウェーからの移民であるということが明かされたのです。



これについて、浅野忠信は…

「祖父が生まれ育ったのは移民が多い地域で、ネイティブ・アメリカンが住む地域に近かったんです。祖父と祖母はお互いにカタコトの日本語、英語で話していただろうから、おそらく「インディアンをよく見かけたよ」というような話を祖母は聞き間違えたんでしょうね。」

浅野忠信の祖父は、インディアンではなく、北欧の“バイキング”の子孫だった?という驚きの真実が明かされました。



バイキングとは…

今から約1000年前の北欧の人たちが、現代ではヴァイキングと呼ばれています。今の北欧人の祖先にあたる人たちです。ヴァイキングの故郷といえば、スカンジナヴィアのデンマーク、ノルウェー、スウェーデン。ノルウェーから移り住んだアイスランドもヴァイキングの国です。

この“バイキング”はこれからの浅野忠信の方向性を示すキーワードになるのかもしれないのです。

それはどういうことかというと…

浅野忠信のハリウッドデビュー作『マイティ・ソー』。



『マイティ・ソー』は北欧の神話に登場する“バイキング”の物語がベースになっている作品なんだとか!

すごい、偶然ですよね!

天国にいる浅野忠信の祖父からの導きのおかげか、これから浅野忠信はさらに『マイティ・ソー』シリーズだけでなく、母国日本以外にも名を知られる俳優へと浅野忠信は大スターの階段を一歩ずつ上っていきます。



浅野忠信のストーリーの続きはこちらをどうぞご覧ください!!

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