真田広之はなぜハリウッドで活躍?アクション映画の代表作に出演。若い頃はイケメンすぎてアイドル歌手に?英語は独学?ハリウッドと日本の架け橋役に。

アクション映画

真田広之といえば、日本を代表する俳優の一人ですが、近年はハリウッドへ進出し、トム・クルーズやキアヌ・リーブス、ブラッド・ピットなど、名だたる大スターと共演されていますね。

真田広之は主にアクション映画に出演されていることが多く、そこではアクションだけではなく、流暢な英語を話されていることにも注目すべき点だと思います。

また、近頃は俳優業だけではなく、プロデューサーにも初挑戦されているとのことです。

今回は日本とハリウッドを股にかけて活躍する稀有な人物“真田広之”について詳しくご紹介します。




真田広之のアクションは若い頃からの努力で身についた賜物。

真田広之は1960年(昭和35年)10月12日生まれの現在63歳です。

本名は下澤 廣之(しもざわひろゆき)という名前です。

俳優、歌手、そして武術家でもあります。ここ最近はさらにプロデューサー業も担っています。

芸能活動開始は6歳で、千葉真一の映画で子役デビューをし、その後も千葉真一や高倉健の主演作品に出演します。

中学生になると同時に千葉真一の主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)に入団し、一緒に母の勧めで日本舞踊の玉川流に入門します。

中学卒業後は、高校で学業に専念するために、一旦芸能界から退きます。

1978年に映画『柳生一族の陰謀』のオーディションに合格したのをきっかけに芸能活動を再開します。再デビューの時には千葉真一から改名を勧められ、千葉真一の「真」と千葉の本名の(前田禎穂)の「田」を組み合わせて「真田広之」が誕生しました。

同じ1978年に日本舞踊でも玉川流の名取(一定期間の修行をして基準以上の技量を習得したと認められた弟子に対して、流派特有の名前を与えるというもの)となって「玉川大輔」の名を受けました。

翌年に高校を卒業後、4月に日本大学芸術学部の映画学科に入学します。大学在学中は殺陣同士会に在籍して殺陣の技術のレベルアップを目指しました。

真田広之の大学時代は、学業と演劇活動を両立させるよう取り組んでいました。

1980年に映画初主演を果たし、桃山城の天守閣からの飛び降りシーンや、東尋坊の岩場やヘリコプターから海へ飛び降りるシーンなどをなんとスタント無しで自ら行ったそうなんです!!

一歩、間違えれば大怪我に繋がるような、厳しい撮影も自ら行う…この時から映画に対する真剣さ、情熱は真田広之の中に確かに存在していたんでしょうね!


真田広之の若い頃はかなりのイケメンすぎるので、アイドルとしても活躍していた!代表作ドラマ『高校教師』でブレイク!アクション俳優から演技派俳優へ。

真田広之はご覧の通り、かなりのイケメンだったので、アイドルとしても売りに出されていて、歌手としても歌番組に出演していました。

そして、1982年の香港映画で主演を務め、初めて海外に進出します。

これまではアクション映画が多かったですが、その後様々な映画やドラマに出演し、悪役だったり、3枚目キャラだったりとこれまでのアクション俳優という枠を超え、演技の幅を広げていきました。

そして、1993年、テレビドラマ『高校教師』に主演。このドラマが大ヒットし、真田広之の名前を幅広い層に更に知られるようになりました。

かなりの衝撃的なドラマだったことを今でもよく覚えています!最終回の最後のシーンは未だに謎に包まれていますよね。高校教師と生徒の逃避行は心中したのか?それともただ眠りについているだけだったのか?最近は考察するドラマが多くなってきましたが、『高校教師』はその考察ブームの先駆けといえるでしょうね。


真田広之の世界進出第一歩はシェイクスピア『リア王』から。アクションだけでなく、素晴らしい演技力と英語力を見せつける!!

真田広之の活動は日本にだけにとどまらず、世界へ広げていきます。

1999年から2000年にかけて真田広之は、イギリスで行われたロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)公演『リア王』に史上初にして、唯一の日本人キャストとして出演するという快挙を成し遂げます。

蜷川幸雄演出による『リア王』は日本の伝統である“能”の要素がふんだんに取り入れた和テイストの高い作品で、そこでは全編にわたって17世紀の英語の台詞だったんです!

真田広之が海外初進出した香港映画に出演した際は、セリフは日本語だったので、ここでは英語を話す必要はなかったんだとか。

ですが、今回は長いセリフも全部英語(17世紀の近代英語)、キャストも自分意外はすべてイギリス人俳優ということで英語を話さないと行けない環境に強制的に送り込まれてしまったんです!

ここからが、真田広之が流暢に英語を話すようになったルーツだったんですね〜。

真田広之が出演した『リア王』は従来のものとは違って、能の要素を色濃く取り入れた和風な作品だったので、シェイクスピアの国イギリスでは、最初はかなり批判され、拒絶されていたとのこと。

ですが、真田広之の演技力の素晴らしさから拒絶反応は徐々に薄れていったようです。

そして、なんと真田広之の演技力と日本とイギリスの文化交流の架け橋を担った功績を評価されて、エリザベス女王2世から大英帝国勲章第5位を受勲したのです!!



真田広之はなぜハリウッドで活躍するのか?大スターと数々共演!アクション俳優としてハリウッドでは欠かせない存在に!

真田広之の名がハリウッドで知れ渡るきっかけになった映画といえば、『ラストサムライ』ですね!

『ラストサムライ』でのトム・クルーズの素晴らしい殺陣は実は真田広之から教わったものなんですって!

しかし、実際映画の中では真田広之のアクションシーンは大幅にカットされたんだとか。

なぜなら、トム・クルーズが真田広之の素晴らしいアクションシーンを目にして、主役の自分より真田広之のほうが目立ってしまうことを恐れて、カットさせるよう圧力をかけたようなんです!!Σ(゚∀゚ノ)

大スタートム・クルーズをも嫉妬させてしまう真田広之は、やはりただものではありませんね!

そして、真田広之は前々より、ハリウッド映画での日本の捉え方について疑問を抱いており、『ラストサムライ』ではこんな撮影秘話があります。

「海外の映画が描く日本の姿に対してずっと疑問を抱いていました」と明かす。日本人として米国側の日本に関する誤った認識や表現を正すために、「ラストサムライ」の撮影に参加した。「これが最初で最後のハリウッド出演になってもいい」という覚悟をもっていた。

実際、撮影中は意見を述べ続けたという。撮影後も米国にとどまり、仕上げ作業にも関わった。

「闘い続けた結果、彼らも次第に耳を傾けてくれるようになった」。米国のスタッフは最後には「あなたのこだわりは、私たちが映画を始めた頃の情熱を思い出させてくれた」と真田に感謝の言葉を伝えてきた。

「泣きそうになると同時に、〝東西の壁〟をなくしたいという思いが、ますます強くなりました」と2005年から米国に拠点を移した。

真田広之の映画への情熱の強さがよくわかるエピソードですね。

確かに、これまでのハリウッド映画における日本の姿は実際とは全く異なる場面が多く存在していました。

そんなハリウッドの日本のイメージに風穴をあけ、リアルの日本を伝える“フロンティア”としての責務を持って、真田広之はハリウッドへ進出したんですね!

ハリウッドでは、大ヒット作品のジャンルはアクション映画が多くあることから、アクション俳優はとても重要になっています。

Aクラスの大スターのトム・クルーズやキアヌ・リーブス、ブラッド・ピット、ヒュー・ジャックマンなどなど、アクション映画にたくさん出演していますね。

真田広之はそんな大物スター達と数多く共演しています。

キアヌ・リーブスと共演した映画『47RONIN』に真田広之が大石内蔵助として出演した際、真田広之がこの作品について「シンプル&ディープ」という発言したことが、キアヌ・リーブスはとても感銘を受けたそう。真田広之の映画への献身的で、また周りへの気配りのできる姿勢からキアヌ・リーブスは真田広之のことを尊敬の意を込めて「師匠(マスター)」と呼んでいたようです。

大スターからも一目置かれ尊敬されるなんて、真田広之の凄さを改めて感じました!!

真田広之は演技力もさることながら、アクション俳優であり、殺陣もできる。

ハリウッドでも真田広之は希少な存在なんですね!

共演した大スター達からの信頼も厚く、なによりコミュニケーションは流暢な英語を話すことから日本人でも全く問題ない。

今や真田広之は、ハリウッドにはなくてはならない名俳優になりましたね!!



真田広之の映画への情熱は熱く、アクション映画出演だけでなく、プロデューサーにも初挑戦!!

これまでは、真田広之はハリウッドでアクション俳優として活躍し続けてきましたが、ついに、とうとうハリウッドでプロデューサーになることができました。

真田広之はハリウッドでの日本の描き方について、疑問を抱き続けていました。

「いつも孤軍奮闘してなんとか日本人がおかしくないものにしようという戦いはずっと続いていました」と振り返りながら「どのプロジェクトでもできるだけ直そうとしたり、コンサルティング的なことはしていたのですが、やはり一俳優としてできることの限界をずっと感じていました」と吐露。今回の企画に関しては「僕にとって奇跡のようなプロジェクト。日本人として、僕は日本の文化を正しく世界に紹介したかったんです。それはいつも僕の夢でした」と語った

真田広之が主演&初プロデュースを担ったドラマシリーズ「SHOGUN 将軍」の発表での記者会見で真田広之は自身のこれまでの思いを、そして夢を語りました。

これまでは一介の俳優で、映画を修正する力があるわけではなかったので、映画について納得できなくてもその気持ちをぐっと堪えてきたことも何度もあったことでしょう。

今回の作品では、真田広之自身がプロデューサーという絶対的な権力を持ったことで、これまでの誤りを正し、日本人が見ても違和感なく思える作品作りができたことは、真田広之のこれまでの苦労や努力が報われた結果でしょうね!

真田広之自身も達成感はとても感じていたそうで、

「僕にとって奇跡のようなプロジェクト。日本人として、僕は日本の文化を正しく世界に紹介したかったんです。それはいつも僕の夢でした」

ハリウッドへ渡ってもうすぐ20年、ようやく真田広之の夢が実現のものに!!

そして、次は自分が日本の若い俳優たちをハリウッドに導く架け橋になればと新たな野望を胸に描いています。

真田広之の映画への情熱は人一倍熱く、いい作品作りのために妥協を許さず真摯に向き合う姿に、ハリウッドのトップ俳優だけでなく、周りの人々やファンからの信頼を得ているんですね。

これからも真田広之の活躍に期待しています!!

 

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました(*^_^*)❤



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