ロバートダウニーJrは若い頃映画デビュー。映画監督の父親から薬物と演技を教わった!?

SF映画

映画俳優は様々な映画で色んな役になりきって、その役の人生を歩んでいきますね。

数奇な人生でもそれは役の上でのこと…

しかし、実生活で彼ほど波瀾万丈な人生を送ってきた人物はそうそういないと思います。

今では大人気俳優で、数々の代表作に出演。中でも大ヒット映画『アイアンマン』はロバートダウニーJrの代名詞と呼ばれています。

イケオジ俳優でかっこいいですよね〜❤

そして2013年には「最も価値ある映画スター」ランキングで1位でV2を達成、「The King(帝王)」という名声も手に入れました。

そして、最新作の『オッペンハイマー』で第96回アカデミー賞助演男優賞を見事獲得!!

今回は彼自身の人生でも、映画に勝るとも劣らない数多くの栄光と挫折を乗り越えた、魅力溢れる俳優ロバートダウニーJrのことを詳しく紹介します。



ロバートダウニーJrは映画監督の父と女優の母を持つ。映画俳優になる運命だった?子供時代は俳優になるための土台を着実に築く。

ロバートダウニーJrは1965年4月4日生まれの58歳です。

アメリカニューヨーク出身で、父親は俳優で映画監督のロバートダウニーシニア、母親は女優のエルシーフォードです。

両親がこのような職業に就いていたので、まさに映画俳優になるのにピッタリな家庭に生まれました。

ロバートダウニーJrの父親は映画監督ですが、手掛けていた映画は“不条理主義”という芸術性が高く、なかなか理解するのが難しい映画で、そのためあまり一般受けしないものでしたが、その映画製作に没頭していました。

ロバートダウニーJrが5歳の時に、父親の映画『POUND』に出演し、そこで映画デビューを果たします。



この『PONUD』という映画は犬の役を人間がそのまま演じる、犬になりきるというとても不思議な映画でした。

この映画をきっかけに演技に目覚めたロバートダウニーJrは、父親の映画にその後も出演を続け、そして演技のレッスンを受けるようになります。

まだ、幼い5歳という年齢でしたが、演技をして別人になりきるという経験はロバートダウニーJrにとっては衝撃的なものだったんでしょうね。

ロバートダウニーJrは家においてあったピアノを誰からも教わらずに、いつの間にか弾けるようになっていたんだとか。

演技だけでなく、独学でピアノが弾けるようになるなんて…。



ロバートダウニーJrの芸術的センスには驚かされますね!!

ロバートダウニーJrは10歳の時、イギリス・イングランドに住んでおり、そこでは演技教育の一環として、クラシックバレエを習っていました。

その後アメリカに渡り、ニューヨークで芸術家の天国と呼ばれるグリニッジ・ヴィレッジ(ニューヨーク・マンハッタンのダウンタウンにある地区の名称)で過ごします。またニューヨークの演劇専門の学校に通い演劇を学び続けます。

ロバートダウニーJrは俳優になるための土台を着実に築いていきました。



ロバートダウニーJrの映画監督の父からは子供時代に演技だけでなく薬物も教えられた?!順調な役者への道に陰を落とすきっかけは薬物と両親の離婚が背景にあった!!

ロバートダウニーJrは子供時代から映画に出演、演技に目覚め俳優になる夢に順調そうに進んでいるかと思われましたが、

実は、大きな悩みを抱えていました。

思春期は誰でも、困難にぶつかり、悩み多き時代であるとは思いますが、ロバートダウニーJrのそれは私達とは比べ物にならないような大きなものでした。

麻薬と両親の離婚がロバートダウニーJrを苦しめました。

そして麻薬はなんと、自分の父親から教えてもらったものだというのです!!

びっくりですよね!!同じ子を持つ親として全く理解できません!!

ロバートダウニーJrの父親は、映画製作でのインスピレーションを求めて、麻薬とアルコールにハマっていました。



しかもロバートダウニーJrが6歳の時に、父親は、気持ちよくなるからとロバートダウニーJrにマリファナを勧めたんです!

信じられません!!

こうしてロバートダウニーJrは、何も知らなかった幼い頃に麻薬の味を覚えてしまい、なんと8歳の時には、一人前の麻薬依存症になってしまったようです!

本当に信じられません!!そんなことをする人がいるなんて!!

ロバートダウニーJrはこの頃のことを、このように振り返っています。

「父親と一緒に麻薬をするのは親子の絆を作るときだった」

なんか聞いていて切なくなります。他にもいろんなことで絆を深めることだってできるのに。

それが麻薬だなんて。善悪の判断がまだきちんとわからない幼い頃に、麻薬を父親から勧められ一緒に使っていたという事実があまりにも深刻なものに思えます。

でも、父親のことが好きだから、それをしている時は一緒にいれるから、ただそれだけの理由で麻薬をしていたとしたら、ロバートダウニーJrの子供時代はなんて可愛そうだったんだろうと感じていまいます。



そして、さらにロバートダウニーJrを苦しめる出来事が起こります。ロバートダウニーJrが13歳の時に、両親が離婚してしまったのです。

ロバートダウニーJrは父親と一緒に、東海岸のニューヨークから西海岸のカリフォルニアへ引っ越します。

しかし両親の離婚と引っ越しで住み慣れた場所からの引っ越しが精神的にショックだったのか、カリフォルニアのサンタモニカ高校を中退して、ニューヨークに戻ります。

17歳でニューヨークに戻ってきたロバートダウニーJrは、父親と共にいたこともあってすっかりドラッグにはまっており、麻薬を手に入れるために、片っ端から電話をかけまくっていたそうです。



ロバートダウニーJrは父親の肩書ではなく自分の名前で映画界で成功を積み上げていく。演技が認められアカデミー賞ノミネートも!

ロバートダウニーJrはドラッグにハマっていましたが、演技への憧れを忘れていたわけではなく、俳優への道を本格的に目指します。

1983年『ベイビー・イッツ・ユー』で本格的に映画デビューを果たします。

1985から1986年には、人気バラエティ番組『サタデー・ナイト・ライブ』に出演しました。この番組ではロバートダウニーJrの演技の評判は散々なものでしたが、ここで得た経験がロバートダウニーJrのその後の映画出演する映画でのコミカルな演技に活かされました。

1987年にはロバートダウニーJrの初主演映画となった『ピックアップ・アーティスト』。ここではどんな女の子でも口説いてみせる天才プレーボーイ役として出演します。この時から、女たらしな『アイアンマン』のトニー・スターク役になる道のりは始まっていたんでしょうか?

そして同じ年にドラッグ中毒の若者「ジュリアン」役を演じた『レス・ザン・ゼロ』ではニューヨーク・タイムズに「頭がおかしくなるほど感動的」と大絶賛され、ロバートダウニーJrは世間の注目を集めるようになりました。



この『レス・ザン・ゼロ』は徐々に麻薬に溺れていき破滅へと突き進む若者が主人公の映画で、ロバートダウニーJrはくしくも自分と同じく麻薬中毒者が主人公になっているため、役に没頭するのに、頭はドラッグのことでいっぱいになり撮影前に麻薬をしてからくるほどだったそうです。

それからも、数々の映画に出演したロバートダウニーJrは1992年に『チャーリー』に出演します。これは喜劇王チャーリー・チャップリンの半生を描いた伝記映画で、ロバートダウニーJrはチャーリー・チャップリンに扮しました。

この映画でロバートダウニーJrはチャーリー・チャップリンのトレードマークのアヒルのような歩き方や酔っぱらいの演技を見事にこなして、また観客はチャーリー・チャップリンが舞い降りたと勘違いしてしまうほど瓜二つの演技に度肝を抜かれました。

チャーリー・チャップリンの実の娘は、ロバートダウニーJrの演技を観て…

「父親が生き返ったようだ」とロバートダウニーJrの演技を絶賛した。

本人のことをよく知っている人物から太鼓判を押されたロバートダウニーJrの演技は間違いなく本物だったんですね!

そして、ロバートダウニーJrはこの『チャーリー』で初めてアカデミー主演男優賞にノミネートされました。


ロバートダウニーJrの若い頃の彼女はサラ・ジェシカ・パーカー?!ロバートダウニーJrの栄光と挫折を陰で献身的に支えていた!?

ロバートダウニーJrが演技での成功を収めていたこの頃、ロバートダウニーJrを陰で支えていたのは女優のサラ・ジェシカ・パーカーです。

サラ・ジェシカ・パーカーといえば、テレビドラマ『SEX AND THE CITY』のキャリー役で大ブレイクを果たしたあの女優ですね〜。

サラ・ジェシカ・パーカーは、ロバートダウニーJrと同い年で、二人は1984年映画共演がきっかけで知り合いました。当時は二人はまだ18歳でした。

ロバートダウニーJrとサラ・ジェシカ・パーカーの共通点は年齢だけではなく、子役デビューしていたことと二人の両親は離婚していたこともあり、お互いのことがよくわかっていたのでしょう。



その後、二人は付き合い始め、付き合ってから2ヶ月後には一緒に暮らすようになりました。

ロバートダウニーJrとサラ・ジェシカ・パーカーの同棲は1984年から1991年まで7年間続きました。結末はサラ・ジェシカ・パーカーがロバートダウニーJrの元を去って終りを迎えました。

一緒に暮らしていた間もロバートダウニーJrは以前から続けていた薬物依存の状態が続き、サラ・ジェシカ・パーカーがロバートダウニーJrを彼の親のようにずっと支えていたそうです。

献身的に支えていたのに、ますますひどくなる薬物依存症のパートナーを見て、どれだけサラ・ジェシカ・パーカーがショックだったか、その辛さは計り知れませんね。

ロバートダウニーJrはその頃のことを…

「サラに別れを告げられて辛かった」と述懐している。その後は24年にわたり絶縁状態にあったが、2014年にサラの自宅で再会を果たし「言いたいことを全て言えた」と和解に至ったことを公表した。

長い時を経て、ロバートダウニーJrとサラ・ジェシカ・パーカーは和解できたんですね!お互いの辛い時を一緒に過ごしたことは、時間が経てば思い出話に変わったのかもしれませんね。



一方サラ・ジェシカ・パーカーはその当時を振り返って…

「ロバートダウニーJrとの関係から愛情について多くのことを学んだ。」

「ロバートダウニーJrが依存症と戦うのを支えたことは、子供への愛情に通じるものがある」

このように語っています。

そして実際サラ・ジェシカ・パーカーが自分の子供を授かった時にこの経験が役に立ったようです。

しかし、ロバートダウニーJrの薬物依存がますます深刻なものになっていくのに、とうとう耐えきれなくなり、サラ・ジェシカ・パーカーは「あなたが死なないように祈っています」という手紙を残して、別れを告げ出て行きました。



ロバートダウニーJrは栄光から挫折へ。スピード婚から薬物使用で逮捕を繰り返し、刑務所へ収監!!

ロバートダウニーJrはサラ・ジェシカ・パーカーと別れた翌年の1992年にシンガーソングライターのデボラ・ファルコナーと結婚しました。

なんと、ロバートダウニーJrとデボラファルコナーは付き合い始めてわずか42日で電撃入籍をしたんです!!

ロバートダウニーJrは長年同棲したサラ・ジェシカ・パーカーとの別れが辛すぎたんでしょうか?ぽっかり空いたその穴をふさぐためだったのか?

とにもかくにも、このスピード婚にはとても驚かされました!!

そして、ロバートダウニーJrとデボラの間には男の子の赤ちゃんが生まれました。

幸せな結婚をし、子供も授かって順調に進んでいくと思われていたロバートダウニーJrでしたが、薬物の依存は変わらず続いており、いよいよ深刻さは増していきます。



1996年は車のスピード違反をしてしまいますが、その時にヘロインやコカイン、拳銃所持で逮捕されました。

その後も薬物使用での逮捕を繰り返して、そしてとうとう1999年8月に懲役3年の判決を受けてカリフォルニア州立刑務所へ収監されました。

刑務所内ではロバートダウニーJrは刑務所内での台所の仕事を任され、相当過酷で厳しい仕事にも関わらず、ロバートダウニーJrはそれに真面目に取り組みました。

苦労の甲斐があって、ロバートダウニーJrは模範囚として1年後に出所することができました。



ロバートダウニーJrは再起をかけて大人気ドラマ『アリーmy love』へ出演。しかし、薬物の魔の手が再びロバートダウニーJrを襲う。

ロバートダウニーJrが俳優へ復帰した最初の作品は、当時大ヒットしていたドラマ『アリーmy love』で主人公「アリー」の恋人の新しい彼氏「ラリー」役でした。

当時のことよく覚えています!私もこのドラマ大好きでハマってました!!

ラリーが本当にかっこよくて、録画したドラマを毎日のように見ていました!二人が喧嘩してすれ違った状態から「ラリー」がもう出てこなくなってしまったので、とてもショックだったことが記憶に残っています。

私のように「ラリー」に夢中になった視聴者はたくさんいたようで、ロバートダウニーJrが出演してからはこのドラマの視聴率が伸びていったそうです!



もともと演技派俳優のロバートダウニーJrはこの『アリーmy love』で、ゴールデングローブ賞助演男優賞受賞、全米映画俳優組合賞主演男優賞受賞、エミー賞助演男優賞ノミネートとしっかり自分の演技の爪痕を残します。

刑期を終え、薬物とは完全に手を切ったと思われていた矢先、ロバートダウニーJrは再び、薬物の不法所持で逮捕、翌年にもコカインを路上で吸っているところを逮捕と、薬物をやめることはできていませんでした。

刑務所であんなに過酷で辛いことを経験したのに、それを思っても薬物から手を引くということができないくらい、ロバートダウニーJrにとっての薬物は小さい頃から習慣になっていたんでしょうか?本当に恐ろしいことです!!

ロバートダウニーJrの度重なる逮捕を受けて、『アリー my love』は降板になりました。

「アリー」役のキャリスタ・フロックハートはロバートダウニーJrの逮捕にショックを受け倒れてしまったんだとか!

このことがきっかけで、ロバートダウニーJrにはしばらく俳優の仕事が来ることはありませんでした。



ロバートダウニーJrは薬物から完全に決別へ!!きっかけはバーガーキングのチーズバーガー!?

ロバートダウニーJrは再逮捕を受け、『アリー my love』が降板してから、話題作の出演も逃しています。

また私生活でも、ロバートダウニーJrに愛想をつかした妻と子供は家を出ていきました。

仕事でも、私生活でも薬物のせいでどん底まで沈んでしまいます。

薬物を長年してきたこともあり、なかなかやめることができなかったロバートダウニーJrですが、あることがきっかけでやめれるようになったのです!

それは、なんと“チーズバーガー”でした!



ある日、ロバートダウニーJrがバーガーキングのチーズバーガーを食べた時、チーズバーガーが恐ろしく不味く感じたんだそう。

味覚もおかしくなってきて、いよいよ本当に恐ろしいことが起こるのではないかと予感がしたロバートダウニーJrはその時にきっぱり薬物から手を引く決心します。

そこで、持っていた薬物を全て海に捨てて、もう一度自分が生まれ変わると誓ったのです。

きっかけって些細なことでも、それがその人にとってはとても重要なものだったりしますよね。

なにはともあれ、父親の勧めで始めたドラッグから、長い時間がかかり数多くの犠牲も払ってきましたが、薬物から完全に決別できたことで、やっとロバートダウニーJrが再び大スターへの階段を踏み出すチャンスが巡ってきました!



今回はロバートダウニーJrの子供時代から振り返っていきました。

この後のロバートダウニーJrの成功の軌跡はまた別記事でご紹介しています。

続きの記事はこちらになります。ぜひご覧ください!

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ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました(*^_^*)❤



 

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